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2010年4月18日 (日)

じゃあくなもの が あらわれた! 【書評】『邪悪なものの鎮め方』

後先生もブログでお取り上げになっておる(これこれ)ことだし、内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ)を読んでみた。

内田先生のおっしゃる「邪悪なもの」の定義とは、「一つは、「それ」とかかわるときに、私たちの常識的な理非の判断や、生活者としての倫理が無効になるということ。「どうしていいかわからない」ということ」(9ページ)で、「もう一つは、だからといって何もしないで手をつかねていれば必ず「災厄」が起こるということ」(同)。
で、最近は本を読むとうんざりすることにどうしてもそれに結びつけて考える傾向があるのだけれど、今回もやっぱりそれに結びついた。
すなわち「就活」である。
一個人にとっても、社会全体にとっても、「就活」は邪悪なものの条件を満たす。

で、これまた後先生がとりあげている「「子ども」の数が増えすぎた世界」の箇所が面白かったので参照してみる。
ここで内田先生がおっしゃっている「子ども」は、「「システム」の不具合を早い段階でチェックして、「ここ、変だよ!」とアラームの声を上げる」(42ページ)役割を果たしている。
しかし、子どもはシステムの補習・再構築・管理運営をすることはできない。
「「はいはい、ここですね。ではオジサンが……」といって実際に身体を動かしてそのシステムを補修することが自分の仕事だと思っている人によってしか直せない」(同)。

この図式を現在の「就活」システムに当てはめてみると、「子ども」は学生である。
早期化、東京一極集中、不採用活動などなど「ここ、変だよ!」と不具合を指摘する声を上げている。
しかも、システムが基本的には企業によって管理運営されているために、「子ども」はこの不具合を直すことはできない。
では、この不具合を直そうとする「オジサン」が誰なのかというと、僕は見たことがない。
「オジサン」面している人は見たことがあるが、結局「最近の学生のコミュニケーション能力が云々」という話に帰着していたりする。
もちろんそれはそれで一理あると思うが、マクロで見たらそれは新たな不具合を指摘しているだけで、「子ども」と同じ発想であると気付いた方がよろしいのではないかと思う。

もちろん、一個人としては不具合を含めた環境に柔軟に(従順に)適応しようとするのだけれど、当然不満はあるし、視点を大きくして見た場合には不具合だろうと思うこともある。
だからこういう愚痴っぽいことを書いたわけである。

ほとんど国民全員がある時期になると「邪悪なもの」に出会う国ってなんなんだろうと思うわけですよ。
オジサンはいずこ。

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