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2010年11月13日 (土)

芸術にお金を払うということ 【書評】『芸術のパトロンたち』

論文用に借りた本だけど、読み物としても面白かった。
内容をざっと要約すると、
「芸術、特に絵画におけるパトロンは、かつては職業組合や教会組織、そして大富豪一族や宮廷であったが、芸術が大衆化するにつれ、一般市民もパトロンの役割を果たすようになったし、現在ではさらに多様化している」
という流れ。

面白いのは、芸術が大衆化する前の、主にお金のある組織がパトロンをやっていた時代には、絵画は主に権力誇示などのために描かれていたということ。
そこには当然、依頼主の意向が入るわけで、生計を立てるためには自分の好きなものだけ描いてたらいいというわけではなかった。
純粋に表現を追求する画家が現れたのは、芸術が大衆化してかららしく、どうやら印象派と呼ばれるような人に多いらしい。
マネとかセザンヌとかゴッホとか。
ただ、それは自分の生活の安定とのトレードオフで、苦労人としての芸術家のイメージはこのあたりに起源があるのだと思う。

現代では、かつて芸術家と呼ばれてきたような人々は役割によって細分化していていると言える。
クライアントの要望を聞いて創作するような人は広告代理店とか呼ばれていて、デザイナーにしろ映像編集者にしろ、自分の好きなものを作ってお金がもらえる人はごく少数。
一方、自分の創作を追究するクリエイターもいるけれども、生活不安定であることに変わりはなくて、サラリーマンやアルバイトを掛け持ちしている人もいたりする。

ただ、大昔なら絶対に成り立たなかった創作者の形態があって、それがニコニコ動画で動画投稿してたりしている、つまり趣味的に創作活動に携わる人たち。
彼らはただそれが面白いからやっているのであって、収入源は他にある。
パトロンという観点から考えると、現状ではパトロンなしで創作が成り立っているということになる。
白田秀彰先生は、作品に、インターネットを通じて少額で寄付できる決済制度を整えるべきだと書かれていた※。
新しく台頭してきた、趣味的な創作形態にもパトロンが必要だということになれば、本気で整えるべきなんだろうなあと思う。

幸か不幸かパトロンなしでも割と本格的な創作が成り立つようになってしまったわけで、それを保護すべきか否か、あるいはどう保護するかは卒論を書くにあたってこれから考えなければならないことであります。

ほんとうの創作者利益について

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