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2011年9月の2件の記事

2011年9月18日 (日)

野球大喜利はなぜ面白いのか

世の中には、大喜利という言葉遊びに血道をあげるどうしようもない連中がいます。
大喜利とは、簡単に定義するならば「あるお題に対して面白く答えを返す遊び」となるでしょうか。

例えば、

お題:こんな野球中継はイヤだ
答え:解説がセルジオ越後

こんな感じです。
こういうのを延々と続けるのがここでいう大喜利です。

今、ツイッターのプロフィール検索で「大喜利」と検索すると、有象無象の大喜利出題アカウントが見つかります。
このような状況は、この1年の間に生まれたものです。
その過程についてはまとめたことがあるので、万が一興味がある方はこちらをご参照ください。

さて、有象無象の大喜利出題アカウントの中でも私が面白いと思ううちの1つが、野球大喜利さんです。
漫画家のカネシゲタカシ先生が運営しているアカウントです。
最近はこんなこともやっていたりしてます。

野球大喜利が面白い理由はいくつか考えられます。
イベント開くことができたりとか、カネシゲ先生の画力だったりとか。
そんな、いくつかある理由の内の1つとして、立ち位置というのを取り上げてみたいと思います。
カネシゲ先生個人の事情に限定される他の理由とは違い、複数の大喜利アカウントについて考えるときにも応用できるポイントだからです。

大喜利アカウントの立ち位置は、2つの軸で考えることができるかと思います。
「目的」と「お題のマニアック度」です。

「目的」の軸は、一方の極が「コミュニティ形成」、もう一方の極が「グランプリ」です。
ただ戯れることが目的か、面白い奴らの面白いボケを集めるのが目的か、です。
面白いボケを選出するような過程があったりすると「グランプリ」の極に振れていると言えそうです。

また、お題にはマニアック度があります。
一般に、ボケ重視の大喜利ほどお題がマニアックになる傾向があります。
オーソドックスなお題はボケる人が集まりやすく、マニアックなお題は面白いボケが集まりやすいです。

さて、この2つの軸を使った四象限図式を、ツイッターで有名な4アカウントに当てはめてみたいと思います。
4アカウントとは、@ogiri_tweet@nelson_koenji@taniwaka@89_ogiriです。

@ogiri_tweetことついったー大喜利氏は、大喜利アカウントの中でも最多のフォロワー数を誇ります。
ツイッターにおける大喜利を草創期から支えてきました。
ついったー大喜利は、氏が「理念は「地球市民全員にボケる機会を与える事」」とプロフィールで語る通り、
面白いボケを集めることよりも人数を集めることを重要視しているようです。
そのため、お題もオーソドックスなものが多いです。

「ねるぼけ」を運営する@nelson_koenji(ネルソン高円寺)氏は、ついったー大喜利氏とともに
ツイッターにおける大喜利を支えてきた功労者ですが、運用方法は全く逆でした。
毎回NBB!(Nelson's Best Boke)を選出する一方で、お題は「マウポジボコボコ」や、氏の生活に密着したお題など、
独自性の強いものが多いです。

@taniwaka(谷わか)は、USTの大喜利番組「谷さんのわかんなくなっちゃった」を運営するアカウントです。
常にグランプリを行い、ポイントを集計してチャンピオンを選出しているので、どちらかといえば「グランプリ」重視ですが、
お題は極めてオーソドックスです。
番組も和気あいあいと進行していて、限りなく「コミュニティ重視」に近いポジションにいるかと思います。

そして最後に、野球大喜利を運営する@89_ogiriです。
お題は野球に関するものばかりなので、かなりマニアック度が高いです。
回答もマニアックで面白いものが多く集まります。
一方の目的は、時々グランプリのような企画をやるものの、普段はお題を出すだけなので、
どちらかと言えばコミュニティ寄りだと言えそうです。

以上を表にすると次のようになります。

Photo

こうしてみると、野球大喜利さんの面白さのポイントは、お題を野球限定というマニアックの極に振ったことにありそうです。
もっとも、○○大喜利と名前をつけては散って行ったアカウントがいくつかあるので、ユーザーがつくかつかないかという点ではまた別の要因がありそうです。
おそらく、野球という適度にターゲットとなる層が存在する題材であることがよかったのでしょう。

大喜利アカウントには、複数のアカウントに同じユーザーがついていることが多いのですが、野球大喜利では
他のアカウントの大喜利では見ない人を見かけたりします。
野球大喜利さんは、大喜利アカウントの中では後発組ですが、新たな層を掘り起こしたという点に成功のポイントがあるようです。





2011年9月10日 (土)

【書評】『葬式は、要らない』『葬式は必要!』

           


この記事(元記事は残っていないので、リンクは魚拓)を読んでみて、気になって手に取った本。 島田さんの本だけだと公平性に書くかと思ったので、アンサー本みたいなのも一緒に読んでみました。

『葬式は、要らない』の方は、要約すると「葬式は挙げること自体が贅沢なもので、必ずしも豪華にする必要はない」となるのではないかと思います。
特に批判の対象になっているのが戒名です。
現在は、葬儀を挙げる際に、寺の坊主が死者に戒名をつけるということに、慣習的になっています。
この戒名、本来ならば出家するものが頂くものだったそうです。

なぜ、それが一般人にもつけられるようになったのでしょうか。
日本の仏教式の葬式は、禅宗が元になっています。
禅宗の葬式の作法には、悟りを開いた僧侶に行うものと、修行が終わる前に死んだ僧侶に行うものの2種類があります。
在家(つまり出家前)の一般人は、後者の僧侶の立場に近いです。
したがって、死んだときに出家したということにして、後者の僧侶に行うのと同じ方式で葬式を挙げる、ということがおこなわれることになりました。
ある種の擬制です。
こうして、在家の人間に対する葬儀の方法が確立されました。
あくまでも擬制で、確たる仏教的な根拠もないのに、戒名をつけるだけで何万、何十万、何百万ものお金を坊主にとられることが、島田さんの主な批判の理由です。

ある過程をブラックボックスにすることによって利益を得ている業界というのがあるかと思います。
保険業界と、冠婚葬祭を執り行う業界です。
保険業界では、ライフネット生命という会社が出てきて地殻変動を起こしました。
冠婚葬祭の「婚」の分野では、スマ婚というプランが登場し、平均330万かかる(※1)挙式・披露宴が、16.8万円からでできるようになりました(※2)。
「葬」の分野では、イオンがお布施の相場を開示しましたが、仏教界からの反発にあって削除されました(※3)。
ある部分をブラックボックスにすることは、それだけ消費者が不利益を被る、とまではいかなくとも、少なくとも納得できない部分ができるわけです。
その部分を明らかにしようという企業が登場することは、市場経済では当然のことです。
儀式に何らかの意味があると消費者が感じれば、どのような制度の下でもその儀式は残り続けるはずです。
競争の結果、儀式にかかる費用が下がるということは当然起こり得ますが、だから儀式のありがたみが薄れる、ということでは決してないはずです。

という文脈で私は島田さんの本を読んだのですが、その流れで一条さんの本を読むとがっかりします。
曰く、「費用という数値を越えた世界に葬式という儀礼の本質があることを忘れてはいけません」(p.175)と。
それはそうかもしれないですが、でも削るところは削ろうよ・・・というツッコミができそうです。
一条さんはもちろん、島田さんも、葬式そのものには反対していません。
『葬式は、要らない』というタイトルは昨今の新書にありがちなスタンドプレイです。
2人とも、総論賛成、各論反対、という立場の違いを感じ取ることができます。
しかし、結局どの点に大きな違いがあるのかが最後までよくわかりませんでした。
一条さんは島田さんの「葬式は贅沢である―これが、本書の基本的な考え方であり、メッセージである」(p.15)という記述に対し、
「贅沢、大いに結構じゃありませんか」(p.156)と書いています。
この部分だけ切りとったら、大手冠婚葬祭互助会取締役社長たる筆者のポジショントークと考えてしまうのは仕方がないことでしょう。


1:憧れの結婚式!費用はいくら必要?
2:スマ婚 挙式+披露宴が自己資金16.8万円から叶う!多数の結婚式場から選べます。
3:「布施のお値段」イオンがひっそり削除 仏教界側反発に配慮?

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