【書評】『葬式は、要らない』『葬式は必要!』
『葬式は、要らない』の方は、要約すると「葬式は挙げること自体が贅沢なもので、必ずしも豪華にする必要はない」となるのではないかと思います。
特に批判の対象になっているのが戒名です。
現在は、葬儀を挙げる際に、寺の坊主が死者に戒名をつけるということに、慣習的になっています。
この戒名、本来ならば出家するものが頂くものだったそうです。
なぜ、それが一般人にもつけられるようになったのでしょうか。
日本の仏教式の葬式は、禅宗が元になっています。
禅宗の葬式の作法には、悟りを開いた僧侶に行うものと、修行が終わる前に死んだ僧侶に行うものの2種類があります。
在家(つまり出家前)の一般人は、後者の僧侶の立場に近いです。
したがって、死んだときに出家したということにして、後者の僧侶に行うのと同じ方式で葬式を挙げる、ということがおこなわれることになりました。
ある種の擬制です。
こうして、在家の人間に対する葬儀の方法が確立されました。
あくまでも擬制で、確たる仏教的な根拠もないのに、戒名をつけるだけで何万、何十万、何百万ものお金を坊主にとられることが、島田さんの主な批判の理由です。
ある過程をブラックボックスにすることによって利益を得ている業界というのがあるかと思います。
保険業界と、冠婚葬祭を執り行う業界です。
保険業界では、ライフネット生命という会社が出てきて地殻変動を起こしました。
冠婚葬祭の「婚」の分野では、スマ婚というプランが登場し、平均330万かかる(※1)挙式・披露宴が、16.8万円からでできるようになりました(※2)。
「葬」の分野では、イオンがお布施の相場を開示しましたが、仏教界からの反発にあって削除されました(※3)。
ある部分をブラックボックスにすることは、それだけ消費者が不利益を被る、とまではいかなくとも、少なくとも納得できない部分ができるわけです。
その部分を明らかにしようという企業が登場することは、市場経済では当然のことです。
儀式に何らかの意味があると消費者が感じれば、どのような制度の下でもその儀式は残り続けるはずです。
競争の結果、儀式にかかる費用が下がるということは当然起こり得ますが、だから儀式のありがたみが薄れる、ということでは決してないはずです。
という文脈で私は島田さんの本を読んだのですが、その流れで一条さんの本を読むとがっかりします。
曰く、「費用という数値を越えた世界に葬式という儀礼の本質があることを忘れてはいけません」(p.175)と。
それはそうかもしれないですが、でも削るところは削ろうよ・・・というツッコミができそうです。
一条さんはもちろん、島田さんも、葬式そのものには反対していません。
『葬式は、要らない』というタイトルは昨今の新書にありがちなスタンドプレイです。
2人とも、総論賛成、各論反対、という立場の違いを感じ取ることができます。
しかし、結局どの点に大きな違いがあるのかが最後までよくわかりませんでした。
一条さんは島田さんの「葬式は贅沢である―これが、本書の基本的な考え方であり、メッセージである」(p.15)という記述に対し、
「贅沢、大いに結構じゃありませんか」(p.156)と書いています。
この部分だけ切りとったら、大手冠婚葬祭互助会取締役社長たる筆者のポジショントークと考えてしまうのは仕方がないことでしょう。
※
1:憧れの結婚式!費用はいくら必要?
2:スマ婚 挙式+披露宴が自己資金16.8万円から叶う!多数の結婚式場から選べます。
3:「布施のお値段」イオンがひっそり削除 仏教界側反発に配慮?
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