【書評】日本のデザイン
先日、日本に帰国した折にbk1書店で1万円分の本を注文したんですが、その後にFacebookでこの本の情報を見つけ、
書名に良書臭を感じ、紹介を読んで良書臭を感じ、書店に買いに走った本です。
果たして良書でして、将来とはこうやって描くものなのだと思わず膝を打ちたくなりました。
筆者のデザインに対する考えの深さに感銘を受けます。
『デザインのデザイン』など以前に書かれた本にも手を伸ばしてみたくなりました。
「デザインとは何か」というものを記述した部分が本書にはいくつか出てきますが、そのうちでも代表的なものが「デザインとは「欲望のエデュケーション」である」(ⅱページ)という部分でしょう。
製品や環境は、人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」である。よい製品や環境を生み出すにはよく肥えた土壌、すなわち高い欲望の水準を実現しなくてはならない。デザインとは、そのような欲望の根底に影響をあたえるものである。(ⅱページ)
未来をデザインすることで人間の欲望を喚起し、あるいは変化させ、その未来を実現させる、というのが筆者の考えるデザインの役割のようです。
具体的には、筆者が「仮想と構想、そしてその可視化こそデザインの本領だと考える」(40ページ)というように、
ある製品や新技術を使うことでどんな生活ができるか、何ができるのか、ということを提案することがデザインの仕事だと考えているようです。
私たちが「デザイン」と聞いて思い浮かべる、配色がどうだとかいう話よりも数段深いところを考えていることがわかります。
筆者の考えにそって、今をときめく日本の産業であるソーシャルゲームの「デザイン」について考えてみたいと思います。
ソーシャルゲームを嫌悪する人は多いですが、その嫌悪の原因はおそらく、デザインが「お金をとること」に特化しているからなのだと思います。
任天堂は、家族みんながゲームを遊ぶ未来をデザインすることでWii人気を作りました。
KinectやPS Moveも、それで何が実現できるのか、ということを表現することに腐心したはずです。
それ以前にさかのぼっても、テレビゲームの歴史にはいくつもの「こんなことができるのか」がありました。
それらと比べると、ソーシャルゲームは未来に対する指向性が薄いように思います。
ソーシャルゲームが収穫物であるとするならば、その土壌は、人よりいいものをコレクションし、優位に立ちたい、人からよりよく見られたい、という欲望です。
そのデザインはゲームよりもブランド品に近いです。
ブランド品を否定しているわけではありません。
ブランド品のような欲望の喚起の仕方をしながらもゲームを装っているところに問題があると言えそうだということです。
さて、いい生活を提案することがデザインの役目だといいますが、次のような言い方もできるかもしれません。
つまり、いい生活とはデザインがしっかりしてこそ生まれるものなのではないか、ということです。
そして、描いたデザインは一つずつ実現しなければなりません。
「漆器が艶やかな漆黒をたたえて、陰影を礼賛する準備ができていたとしても、リモコンが散乱していたり、ものが溢れかえっているダイニングではその風情を味わうことは難しい」(104ページ)。
豊かな生活への第一歩はひびの入った食器を取り換えたり、ラップを半分かけたまま食事をとったりすることをやめることなのかもしれませんね。
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