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2018年7月 8日 (日)

【書評】『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』

近年、中国関連の書籍は反中テイストのものがよく売れるのだそうだ。
そのため、書き手の質やポジションにかかわらず刺激的なタイトルや表紙のものが書店にあふれている。
日本人が反中的である程度は、中国人が反日的である程度をはるかに上回っているのではないかと感じるほどだ。
一般書でも書名や表紙で内容の良し悪しを判断するのは難しいが、中国関連書籍の難しさはそれを上回る。
したがって、最近は著者の名前で買うことが多い。
新しい出会いがなくなるので寂しいのだが、数千円を課金して何が出るかわからないガチャを引きたくはない。
本書の著者、安田峰俊氏は過去にも『和僑』や『境界の民』といった良質なルポを出しているため、大外れすることはないだろうと安心して購入した。

天安門事件が起きたのは今から29年前で、私が生まれた1年後だ。
そう遠い昔の話ではない。
しかし、中国の社会はこの29年間で大きく姿を変えた。
たかだか直近7年間の私の中国生活では当時の雰囲気などわかるはずもない。
それなりに親しみのある国で起きたのに空気感をまったく知らない事件とあって、私にとっては現実感のない出来事、それが天安門事件だ。

本書は、天安門事件に多少なりとも関わったことのある22人にインタビューする形のルポルタージュだ。
その22人の中には、事件後に民主化運動を離れて経済的に成功した者、当局ににらまれて没落した者などが含まれる。
対象者が22人いればエピソードも22通りあるのであり、事件との関わり方も様々だ。
この「現実感のなさ」と「エピソードの多様さ」に起因するのか、阪神大震災を軸にした6編を収録した村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』をなんとなく思い出した。

インタビュー対象には、学生デモの指導者となった王丹とウアルカイシ、そして香港の左右の政治団体のメンバーも含まれる。
可能な限りカバー範囲を広くし、中立的な視点で事件の本質を浮き彫りにしようという姿勢がみられる。
筆者が現在、反共的な華僑系メディアに担ぎ上げられないようにTwitterを習近平礼賛アカウントに仕立て上げていることからもわかる通り、中国当局を糾弾する意図は感じられない。
筆者もあとがきで「本書の登場人物のうち、中国国内に住む人の大部分は、これら(注:習近平政権下の監視強化)が本格的に進行する以前の二○十五年の夏ごろまでに取材を終えた。今後、同様の取材を行うのは困難だろう」(p.299)と述べている通り、これほど人選がバラエティーに富んだルポを出すのは難しくなっていくと思われる。

天安門の民主化要求運動が失敗した理由を挙げたうえで、台湾の太陽花学運がそれらを見事に克服した、そして香港の雨傘革命は同じ失敗を犯したという指摘も興味深い。
本書は読み進めていくうちに、当時の民主化運動参加者の無関心化、日増しに厳しくなっていく当局の弾圧、事件の風化といった現実を突きつけられ、重苦しい気持ちになる。
しかし、天安門事件は中国社会を変えることはできなかったが台湾社会は変えたこと、
王丹やウアルカイシが現在の両岸関係にほんの少しだけ影響を与えたかもしれないことが提示され、
一抹の光が見えたような感覚を覚えると同時に、歴史の数奇さにひどく感嘆させられる。
現在とは過去の連続の上に存在するのだ。

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