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2018年12月31日 (月)

【書評】『スッキリ中国論』

中国関連の書評を書くたびに言っていることだが、最近は中国関連の本は反中的でないと売れないそうだ。
そのような世知辛いご時世にあって、このようなのほほんとしたタイトルと装丁で本書を出そうと決断した筆者・編集者および関係者の方々にまず敬意を表したい。

さて、本書の副題は「スジの日本、量の中国」であるが、これが本書のほぼすべてである。
日本人は「スジ」を非常に重視する。
ここでいう「スジ」とは「規則」や「べき論」のことだ。
注意すべきなのは、日本人は「法律の遵守」を重視すると言っているわけではなく、時にはその場の「空気」が法律に優先することもあるということだ。
一方、中国人は「量」、すなわち現実的な影響力の強さなどを重視する。
本書に挙げられている具体例(p.12-15)でいうと、次の通りである。

会社の廊下で中国人社員が立ち話をしているとする。
すると、日本人社員は「べき論」を発動させ、「廊下は通るためのところであって、立ち話をするのは問題だ」と考えるかもしれない。
一方、中国人社員は、「他の人が通れるか、通れないか」、「他人の通行に影響を与えているか、いないか」、「影響を与えているとしたら、それはどの程度の影響か」などを勘案し、他人の通行に支障がないと判断すれば立ち話をしても問題ないと考えるだろう。

中国人社員に言わせれば、日本人は堅苦しい、となるし、日本人に言わせれば、中国人は紀律がなってない、となろう(「量」の判断は個々人に依存しやすいので、より無紀律な印象になりがちである)。

重要なのは、どちらの考え方が良くて、どちらの考え方が悪いという話ではなく、個々人が各国で育つ中で自然に身に付けた文化のようなものだということである。
私も中国で7年生活する中で、考え方が「量」重視にシフトしてきた実感がある。
しかし、ふとした瞬間に「スジ」の考えが頭をもたげることがあり、幼少期から成人する過程で根付いた考えがいかに強固であるかを実感させられる。
根本的な考え方が異なる相手に対面したとき、居心地の悪さを覚えるのは当然であるが、そこで「あいつは人間的になっていない」などという評価をしてしまうと相互理解は進まない。

私は元来、国民性などというものはあまり信用していない。
それは、国民性といいつつ単なる個人差の域を出ていない論があまりに多いからだ。
しかし、本書はまず一つの原則を示し、それを個々の事象にあてはめて解説しているので、説得力が強い。
これだけ明快に解説されてしまうと、中国人の国民性を解説した世の中のほとんどの文章は単なる下位互換なのではないかと思えてくるほどだ。

意外だったのは、「スジ」を重視する日本人社会は同調圧力が強く、「量」を重視する中国人社会のほうが自由度が高いと思われがちだが、実は中国人社会の方が同調圧力が強く働く場面があるという点だ(p.234-243)。
筆者によれば、中国人の社会においては人間の評価を測る基準が個々人の中ではなく「世間」にある。
したがって、中国人は「自分の理想とする姿」ではなく「社会的に理想とされている姿」を目指して行動する傾向が強い。
WeChatで高級料理や旅行先など自慢のような投稿があふれているのも、「周囲からの見え方を重視する」という中国人の気質が関係している。
誰もが自分の外(社会、世間)に存在する評価軸に合わせて生き方を決めている。

状況を「量」で判断し、その場その場であれほどの柔軟さを見せる中国人が、中国社会で生き延びるためにはかくも硬直化してしまう。中学・高校の時代から、若者が自分の趣味やスポーツ、社会活動といったものにほとんど関心を寄せず、ひたすら世間が決めた「立派な人」になるための試験勉強に明け暮れる姿を見ていると、日本どころではない「判断基準が自分の外にある」社会の典型的現象と感じざるを得ない。(p.241)

さて、ここで気になるのが、日本人の「スジ」を重視する考え方はどのようにして形成されたのだろうということだ。
筆者が「おそらく日本の社会でも自営業の皆さんやプロスポーツ選手、芸能人、職人さんなど、自分の腕一本で世の中を渡っている人たちは似たような(引用者注:中国人に見られる、自分の実力を信じるような)マインドを持っているのではないかと思う(p.207)」と書いている通り、日本人の中にも中国人寄りのマインドを持つクラスターはあるし、その逆もまたしかりである。
和を重んじる大和民族としてのDNAが日本人に「スジ」を重んじせしめているのだ、という話ではないはずだ。
厳密な検証はできないが、「スジ」を重視する考え方は一つの会社に所属して一生を終える働き方が主流になり始めた戦後の高度経済成長期あたりにようやく形成されたのではないかという気がする。

上記引用箇所にいう「『判断基準が自分の外にある』社会」は日本人にも思い当たる節があるだろう。
実のところ数十年前まで両国国民の考え方に本質的な違いはなく、日本人にとっては、会社が家族のようになったころから、円滑に社会を回すためには「スジ」ベースの考えを身に付ける方が都合がよくなったということなのかもしれない。

すでに「会社は家族」という時代ではないし、外国人社員も転職も会社倒産も珍しくない現在の日本社会では、「スジ」にこだわる考え方がひずみを生む場面も多い。
本書は中国に関わる方全員にぜひ読んでほしいのだが、日本人としての価値観を見直すという意味では、中国に関係のない方にもおすすめだ。

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