これからの「文化」の話をしよう
ゼミ論の発表が終わったので、公開してみる。
著作権の話なんですが、読みたいというものすごく奇特な方は上からダウンロードしてください。
主張の骨子は
①著作権登録制
②保護期間の短縮+更新制の導入
③ファイル共有ソフトは法律で禁止すべきでない
④フェア・ユースは導入すべきではない
です。
ゼミの議論では大枠として異論はなかったものの、更新の上限について問題になりました。
というのも、制度の前提となる文化の在り方の話で「趣味的な文化も商業的な文化も大事だが、趣味的な文化を基礎に据えたうえで商業的な文化があると考えるべきだ」というような、どちらかといえば趣味的な文化を擁護する立場にたっております。
なので、「じゃあ更新に上限を設けないのはその立場との整合性がないのではないか、どこかで上限をかけるべきではないか」との批判を受けました。
あるいは、では特許(現在は出願から20年保護;更新なし)も同じように上限なしの更新制にすべきではないか、とも。
このあたりについては詰めて考えていなかったために困ってしまったわけなので、帰って調べ直してみました。
そしたら先人たちの主張はこういうものでした。
まず、同じような登録・更新制(と言っても既存の著作権と並行して新しい権利を作る「二階建て」の制度)を主張する法政大学の白田先生は、娯楽目的の商業作品ばかりが流通させることで、政治的・学術的・文化的な作品を商業的に成功しにくくさせるべきではない(注1)、という主張です。
儲けたいならどんどん儲ければいい、そうして使用者の不満や反発心を育てればいい、ただ学習の邪魔はするな、という態度です。
イメージとしては、漫画やアニメなどの娯楽作品を「二階」の部分で、マジメな本などは「一階」であるところの現行著作権法で保護するという感じでしょうか。
なので更新の上限を設けなくても、そもそもが依って立つ文化的理想像が違うので、白田先生としては特に問題は生じないということになります。
一方、同様に登録制を主張するローレンス・レッシグにおいては、「出口戦略」をどうするかというのは手元にある本からはわからなかったのですが(注2)、「利用形態によって規制すべきであって、コピーそのものを禁止すべきではない」「アマチュアの創作は全て合法化すべきだ」などと、そもそもがかなり流通の自由度を高める提案をセットでしているので、たとえ上限なしの更新制を導入しても特に問題はなかろうと思います。
まとめると、白田先生とは文化的な理想像が、レッシグとは提案のラディカルさが違うということでしょうか。
入口の部分は趣味的か商業的かで分断、商業的な部分は対価とアクセスで勘案、という方向が良いと思うんですが、出口の部分については2つを分断しきれない問題が出てくるので(例えば相続を認めるべきか、など)、やっぱり理想像をどうするかという問題に帰結するのかなあと思いました。
少なくとも、著作権は創作に対するインセンティブを与える制度だ、という建前ではやっていけなくて、文化振興か産業保護か、という二者択一を考えるべきなんですかね。
特許との違いについては、保護する対象1つあたりの比重に関わるのかな。
特許が保護する有用な発明は、多くの人が使いたがるし、使わせた方がよい。
そのため、短期の保護だが多くの対価が得られる。
一方、著作権が保護する創作は、いかに優れていても一般的に多くの人が使いたがるものでもないし、使わせなければいけないものでもない。
だから長期の保護でも構わない。
これで説得的な説明ができていますかねえ。
注1:白田秀彰「ほんとうの知的財産戦略について」http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/pdf/trueheritage.pdf
注2:確か手元にない『FREE CULTURE』(山形浩生、守岡桜訳、翔泳社)では、更新制にして上限は特に定めないとする提案をしてた気がするんだけどなあ。