諸葛亮の末裔が暮らす村 諸葛八卦村観光記
最近、ようやく横山三国志を読んだ。
初三国志である。
そうすると今度は史跡巡りなどしてみたくなるものであるが、残念ながら上海周辺は三国志との縁は薄い。
そういうのは南京くらいまで出なきゃだめかな……と思っていると、上海のお隣・浙江省に、諸葛亮の末裔が集まって建てた村があるというのを知った。
これは行かねばなるまい。
最近、ようやく横山三国志を読んだ。
初三国志である。
そうすると今度は史跡巡りなどしてみたくなるものであるが、残念ながら上海周辺は三国志との縁は薄い。
そういうのは南京くらいまで出なきゃだめかな……と思っていると、上海のお隣・浙江省に、諸葛亮の末裔が集まって建てた村があるというのを知った。
これは行かねばなるまい。
龍の飾りがついた門を一歩くぐると、再び中国に戻ってきたかのような錯覚に襲われた。
通りを歩く人々の服装や、路傍の屋台から漂ってくる臭い、聞こえてくる言葉など、五感で中国を感じることができる。
誠に中華民族というのはどこにでも生活基盤を作ってしまうのだ。
・・・というのを期待していたのだが。
実際には全くそんなことはなく、せいぜい漢字がちらほら目に入るくらいで、中華系っぽい人すら見かけなかった。
時々みかけるこのような宗教関係っぽい施設だけがちょっとだけ中国の香りを放っていた。
日本のチャイナタウンのイメージが強いけど、実際にはどこの国でもこんなもんなのかなあ。
まあ、日本のチャイナタウンにしても「五感で中国を感じることができる」は言い過ぎか。
ビンタン市場という、主に地元の人が買い物するという市場をぐるっと見て熱気に蒸された後は、観光客向けの市場、ベンタイン市場に向かう。
と、その前に、ベンタイン市場の隣にあるフォーのチェーン店、フォー24で腹ごしらえ。
このフォー24は日本にも進出しているのだそう。
デイリーポータルのこの記事が中国に帰国した翌日に出てて、タイミングの良さにビビった。
フォーを堪能した後、お土産を物色すべくベンタイン市場に足を踏み入れる。
ビンタン市場と比べると明らかに観光客向けであることが分かる。
Tシャツ屋のおばちゃんが手をつかんで引きとめてくるなど、かなりアグレッシブに客引きしてくる。
ベンタイン市場はボッタクリだと聞いていたものの、値段交渉が鉄則なのは大連もホーチミンも一緒。
日本語でまくし立てたり電卓を通訳代わりに使ったりして互いの妥協点を探る。
こういう交渉は慣れると楽しくもある。
ベンタイン市場のあとは、現地のスーパーマーケットへ。
外国のスーパーマーケットは見てみると楽しいし、お菓子なんかはお土産にもいい。
インスタントのフォーを売っているのが新鮮だった。
あと、どの商品にも中国語が書いてあったりするのね。
スーパーを出たあとは一旦ネルソンさんとお別れ。
夜にシェアハウスで開かれるハバタクインターン生の壮行会にお誘いいただき、それまでの時間はホテル周辺でつぶすことにする。
ホテルでもらった観光地図を見ると、近くに美術館があるそうなので、見に行く。
が、地図の場所には美術館っぽい建物などない。
仕方なく、もう少し足を延ばしてホーチミンのランドマーク、フィナンシャルタワーへ。
展望台からの眺めがいいらしい。
ホーチミンの景色を楽しむといい時間になったので、親鳥を待つヒナのように展望台の下で待ち構えているタクシーを拾ってシェアハウスへ。
3か月のインターンを経て日本へ帰る1人の実習生を送る会なのだとか。
僕がいても場違いにならないだろうかとやや心配したが、3分の1くらいは初対面とのことで、安心して堂々と参加する。
その会には本当に雑多な人が参加していた。
シェアハウス住人やハバタク関係者の日本人・ベトナム人はもちろん、アイセック関係でハバタクとはまた別の会社にインターンに来ている学生、普段はオーストラリアの大学に通っている学生、ホーチミンで起業した人、などなど。
大連に、ここまで色んな人が集まる場があるだろうか、と考えてみる。
大連には確かに多くの日本人がいる。
ホーチミンより多い。
でも彼らは(というか私たちは)留学や現地就職、日経企業の駐在員などであり、同質的な人が集まりやすい。
ビザの取得に就労や就学が必須ということもあり、なにか突飛なことをしようという人は来づらい。
昨日のティティで経験したような、人が人を呼ぶような状況には、大連では出会えていない。
もしかしたら大連にもそういう場があるのかもしれない。
僕のアンテナの張り方が悪かったり、あるいは幸せの青い鳥のようにその存在に気付いていないだけなのかもしれない。
このときはただ羨ましいばかりであったが、羨んでばかりではいけない。
見つからないのなら探す場所を変えればいいし、無ければ作ればいい。
大連生活の新しい目標ができたと思っている。
そういえば最後の最後までネルソンさんの写真を載せていなかった。
右がネルソンさんで、左が僕。
掲載許可を取ってないけど、多分許してもらえると思う。
~終わり~
旅行記1はこちら。
日付が変わった頃にようやくホーチミンに着いた。
中国とベトナムでは時差が1時間あるので、さて一体どのタイミングで日付が変わったのか、哲学的な問いである。
さて、ここからタクシーを捕まえてホテルまでいかないかん。
空港を出ると、ベトナムの熱気を感じる間もなくベトナム人が声をかけてくるが、こいつらに付いていってはいけないことは流石にわかる。
ベトナムのタクシーで信頼できるのはVinasunとMailinhの大手2社だけだとネルソンさんから聞いていたので、名前を頼りに探す。
タクシーは空港の前に山ほど止まっているが、先の2社の名前は見当たらないのでちょっと焦る。
が、5分ほど探すと見つけたよ、Vinasunと書かれた真っ白の車体。
ホテルの住所を見せて、ここまでいくら?と聞くと、16万ドン、と運ちゃん。
単位がでかすぎて感覚が狂うも、ネルソンさんから聞いていた値段と大差がないのでおおむね安心する。
車内では、聞き取りづらいベトナム訛りの英語と、多分聞きとりづらいであろう日本訛りの英語で会話をする。
深夜なので道はものすごく空いている。
道中、運ちゃんが、もう一度住所を見せてくれ、というので見せると、There is no hotelとか言いよる。
いやいや、そんなわけなかろう、もうカードでお金も払っとんねん。
なんか騙されてる?と心配になるが、とりあえず住所の場所には行ってくれた。
ちゃんとホテルの看板も出てるので、一安心して16万ドン払い、タクシーを降りる。
ここで、運ちゃんがThere is no hotelと言った意味に気付く。
看板が指してる方向、どう見ても人ん家やん。
この中、本当に入っていってもいいんかい。
写真を撮っていないのがもどかしい。
人ん家感あふれる建物を通り抜けると、なるほど、確かに開けた場所に出る。
が、どの建物もシャッターが閉まっている。
時刻は深夜1時30分ごろ、もうこの時点で半分泣きそう。
さっきの運ちゃんが後ろから靴音をカツンカツンと響かせてやってきて銃口を突きつけてきてもそれはそれで納得するような状況である。
飛行機を遅延させやがった南方航空に怒りをぶつけながらふとシャッターが閉まった建物を見ると、チャイムの上にホテルの名前が小さく書いてある。
チャイムを押すと、中から反応はある・・・が、なかなか出てこない。
はよ出てこんかい。
3回くらいチャイムを押すとようやくシャッターが開いて兄ちゃんが出てくる。
飛行機が遅れたせいで到着が遅れた旨をわびる。
反応を見るに、この人悪い人じゃないな、と思う。
案内された部屋は狭かったし窓も小さいのしか付いていなかったが、安い部屋だし、どうせ寝泊まりするだけなので充分である。
水もお湯もちゃんと出る。
ゴキブリとの対面を心配していたが、とりあえず到着時は大丈夫だった。
なおその後、ホテルで1匹対面することになるのだけれども。
この1年、ヤツをみていなかったのだけれど、ベトナム滞在の3日で計3匹見かけることになる。
しかもなんであんなにサイズでかいねん。
疲れている割には、慣れない環境のせいかあまり深く眠れないまま朝を迎える。
ロビーに降りて、昨日出迎えてくれた兄ちゃんに朝食をお願いする。
フランスパンとイチゴジャム、目玉焼きにスイカが出てくる。
トーストではなくフランスパンであるところが、かつてフランスと関係のあったベトナムっぽい。
その後、路上でフランスパンを売っている光景を幾度となく目にした。
スイカはあんまり甘くなかった。
ブラックコーヒーが運ばれてきたので、Do you have milk?と聞くと、コップ一杯のホットミルクが運ばれてくる。
ちゃうねん、そうやないねん。
仕方なくホットミルクをブラックコーヒーに注いで飲んだ。
ネルソンさんと会うまでにはしばらく時間があったので、ホテルの周りをぶらつくことにする。
昨日(というか今日の早朝)はまったく人気のなかったホテルの周りには、商売をする人やコーヒーをすする人などがいて、生活感であふれかえっていた。
道路に出ると、何台ものバイクが走っていく。
そういえばベトナムはバイクが移動手段としてかなりポピュラーだとべとまるで読んだんだった!(「この問題、ゼミでやったことある!」のトーンで)
昨日(というか今日の早朝)は見かけなかったのですっかり忘れていた。
大通りに出ると、バイクの密度の多さにびっくりする。
1車線にどんだけ詰め込んどんねん。
もうこの光景だけですでにお腹いっぱいだった。
右の方の辛ラーメンの広告のミスマッチ感が面白かったので無理やり写真にいれた。
11時ごろ、ネルソンさんと合流し、まずは中央郵便局に向かう。
ここらを見て回ったあと、タクシーを拾ってネルソンさんの生活するシェアハウスへ。
車中で、朝から抱いていた疑問をぶつけてみる。
「Vinasun(タクシー)って下の方にラインが入ってるんですか?」
昨日拾ったVinasunのタクシーは真っ白だったが、市内で走っているVinasunは、車体の下の方に赤と緑のラインが入っている。
果たして本物はラインが入っている方で、真っ白のタクシーは偽物だとか。
そう言えば昨日はメーターに133.1と表示されていた。
今なら分かるが、あれは13万3000ドンの意だ。
3万ドンくらいボられていたわけである。
日本円にして120円程度、そのくらいなら、チップと思って諦めることにする。
シェアハウスにて、ネルソンさんの同居人にしてハバタクという会社をやっている小原さんと合流する。
小原さんは最近、『ミャンマー・カンボジア・ラオスのことがマンガで3時間でわかる本』を出されたそうな。
自然な流れでアフィリエイトリンクを張ることができて満足。
3人で、ローカルなレストランへ移動する。
指差しで料理を頼む。
僕は卵料理っぽい色で、カップケーキみたいな形をしたのと、トマトで煮た肉料理っぽいものを頼んだ。
卵料理っぽいヤツの方は、ネルソンさんが「たぶん地雷」と言った通りで、生ゴミみたいなにおいがするしエビの殻を砕いたようなやつが噛むたびに主張してくるので半分くらい残してしまった。
一方、トマト煮っぽいヤツはあたりだった。
トマトで煮たものに外れはないのである。
昼食後、場所を移動して茶をしばいたあと(今回の旅行の発見の1つは、関西人が自然な流れで本当にこの表現を使うということである)、統一会堂(南ベトナムの大統領府)に行くことに。
と、その前に、ネルソン氏曰く「これを見ておくとより面白い」ということで、「メコンに銃声が消える日」という30分程度のドキュメンタリーを、一旦シェアハウスに戻って視る。
今、またアマゾンアフィリエイトリンク張ろうと思ったけど、アマゾンに商品があらへんかった。
ドキュメンタリーを視て簡単にベトナムの歴史を思い出し、これから行く統一会堂のかつての姿を見たあと、一旦小原さんと別れ、ネルソンさんの運転するバイクにまたがって現在の統一会堂へ向かう。
ドキュメンタリーの効果は絶大だった。
現実感が全く違う。
ここにベトコンが戦車で無血入城したんだなあ、などなど。
大連・旅順にも旧跡がたくさんあるけど、あれらも、日露戦争のころのドキュメンタリーを見ておくと感慨が全然違うのであろう。
パッと思い浮かぶのが『坂の上の雲』くらいなのだけれど、もっと手軽に視られるのないんかな。
流石に坂の上の雲はアマゾンにあった。
統一会堂のあとは、戦争証跡博物館。
ベトナム戦争の資料が展示されている。
かなり重い。
特に、エージェント・オレンジの影響で生まれた奇形の人の写真がかなりショッキング。
この博物館の目玉は奇形児のホルマリン漬けで、怖いもの見たさで見ておきたかったが、探しているうちにけたたましくベルが鳴った。
閉館時間だから出て行けということらしい。
ああ、この展開、昨日もあったな・・・。
この後、中国のお古ばっかりのゲーセンで時間をつぶし、シェアハウスに戻って小原さんと再合流。
昼からネルソンさんと小原さんが、可愛い看板娘がいると話題にしていた、小料理屋ティティへ。
看板娘の名前をそのまま店名にしたらしい。
ティティは本当に可愛かった。
最初は3人で飲んでいたのが、1人増え、2人増え、気付けば10人越えの大所帯になっていた。
ホーチミンの日本人コミュニティすげえ!
~続く~
それとは別の話なのですが、私がTwitterで大喜利を通して知り合ったネルソン高円寺氏が去年、大連に遊びにいらっしゃいました。
その時、ネルソンさんはバックパックの旅を始めたばかりで、最初の地を大連に選んでいただいたわけです。
で、ベトナムにつてがあって、もしかしたら働かせてもらえるかもしれない、と聞いておりましたので、それでは次はベトナムでお会いしましょう、と言ってお別れしました。
こんな風に別れました。
旅行を終えたあと、果たしてネルソン氏はベトナムのホーチミンに移住することになります。
おそらくネルソンさんはベトナムで会いましょうという約束などすっかり忘れておったと思いますし、なんなら約束したつもりもなかったのかもしれませんが、僕はいつかベトナムに会いに行かねばならぬとずっと考えておりました。
ちょうどネルソンさんがべとまるという腸ねん転必至の面白ブログを始めたばかりだったのと、折よく中国に端午節という祝日があったのとで、タイミングがよかったので祝日に有給休暇を1日つなげてネルソンさんにお会いしてきました。
6月22日から25日の話です。
大連からホーチミンまでは直行便がありません。
私が買った航空券は、広州で乗り換える日程のものでした。
が、乗り換えの時間が5,6時間くらいある。
これ、広州もちょっと観光できるんじゃね?
というわけで、ホーチミン旅行プラス広州小旅行が実現しました。
もう冒頭の中国人の問いに悩まなくていいんだ!
と、ここまでが長い前置き。
ダラダラと旅行記を書き連ねてみようと思います。
こんな感じのちょっと大連では見られない南方特有の木が脇に生えた道路を挟んで国内線と国外線のターミナルがわかれているが、ターミナル間を送迎してくれる車があるくらいにでかい。
歩いて敷地から出るのは不可能なのではないかと思わされる。
始めはタクシーを捕まえて市内にいざゆかんとしていたが、空港内に地下鉄駅を見つけたので、地下鉄で移動することにする。
この日の目的は陳氏書院。
広州に行ったことのある上司に広州の見どころを相談したところ、お勧めしていただいた。
地元では専ら「陳家祠」と呼ばれているようで、駅員に「陳氏書院までどうやっていくの?」と聞いたところ、どこに行きたいか伝わらないばかりか、中国語ができないやつだと見なされ、以降の彼の回答はすべて英語になった。
中国語で聞いとんやから中国語で答えてほしい。
"Seven yuan"とか言われても逆に分かりづらいわ。
中国の交通機関はとても汚いイメージがあるけれど、駅のホームはとてもきれいだったので驚いた。
転落防止柵完備なのは後発の強みか。
これ、間違いなく名古屋の鶴舞線よりきれいだわよ。
車内もすごくきれい。
あと動画広告がある。
山手線や!山手線で見たことあるで!
もうこの点で名古屋市市営地下鉄は完全に負けている。
妙な週刊誌の広告もないし、美観という点ではかなりポイントが高い。
座席の座り心地は完全に鶴舞線の方が上だけどね。
勝手に戦わされて鶴舞線も困っていることだろう。
上海の地下鉄では、親が赤ん坊に車内で便をさせる光景も日常茶飯事と聞くけれど、広州ではそんな光景には出会わなかった。
電車を2度乗り継いで、45分くらいかかって陳家祠駅に着く。
なんやねん名前がそのまんまの駅あったんかい、というツッコミもほどほどに、陳家祠に赴く。
陳家祠は陳氏一族の大邸宅で、広州芸術の意匠を凝らした建物を利用した博物館となっている。
ところで象牙って、ワシントン条約かなんかで日本への持ち込み禁止されたりしてないんですかね。
もし100万だして買ったのが没収されたら泣きますね。
大声で泣きますね。
周っている間に閉館時間が来て、警備員のおっちゃんに早く出て行けと追い立てられる。
ちょっとくらい大目に見てよー。
見ると、職員もすでに帰宅準備を始めている。
なんやねん、閉館後の業務とかないんかい。
こうして、消化不良気味ながらも陳家祠見学は終了した。
さて、その後であるが、ホーチミンへと向かう飛行機は20:50搭乗開始、21:30出発予定であったところ、待てど暮らせど搭乗が始まらない。
遅れるのはいいけどアナウンスくらいせんかい、ホウ・レン・ソウは社会人の基本や。
やっと飛行機に乗れたと思ったらまた何らかのトラブルで30分くらい遅れ、結局、広州を出発したのは23時のこと。
ホーチミンに着いたのは現地時間の1時ごろ、初日にしてすっかり疲れ果てましたとさ。
~続く~
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |